上の家のほうでも危険を察知して木柵を回したことがあった。

 最初の若者の突進には当然警戒があったであろうが、その後油断しているうちにどうも家族が病気で次々と亡くなる。 早死にして経営もままならない。 気をつけてみると、ややや、誰かが物陰で、一所懸命に庭先に物を投げ込んでいるではないか。 留守中にも入り込んで何か付けているのではないか。
 この周囲の気配に気づいた時点で、周到に木柵を巡らしたのかもしれない。 火付け改め放火事件も起きていたのかもしれない。
 西の家もこの時から自分の家周りを警戒するようになったのであろう。 門番代わりに新し家という分家の家を建て、村道からの出入りに一つ障壁を置くことにしたものと推理される。 ヨーロッパでも関係者は予め、コンシェルジュという立場に身を置いていることが多いようである。