「茶ー」 女性が現れる以前に、

子種で繋ごうという作戦は、実は本内集落内で強行的にも進められていた。
 西の家分家の新し家の嫁さんに子供を産んでもらおう、ということに決まったようであった。
 確かに子供を産むために通ったようである。 実際に子種を宿すまでに至っていたようである。 この場合将軍様のお口添えもあることであって、特別な事であった。 浅黒い、顔の小作りな背の高い細身のお母さんであった。 (新し家関係の組織員一部にあったという、黒澤明の映画のような人妻掛かりというのは、この時の処分を宿恨として始められたものなのかもしれない。)
 しかし新し家の主人の魂は反抗的であった。 もともとは、江戸時代中上の家と戦って、監獄小屋の身の上にまで追い詰めてきた西の家の子孫である。 本来の血の流れは自分達だけにある。 
 赤ちゃん処理は各地で専門にしてきた。 施設児を独占的に大量に産み落とし、日本中に偉人、公務員が輩出している。 いかに昔将軍様がお力添えしたことのある上の家の相続であったとしても、今や自分達が負ける気はしない。 自分達が天下を取るような世の中となりつつあるではないか。  
 ということで、服すことはできない、と密かに嬰児を土中処理したものと思われる。 二度あったと推理されることがある。
 (その後にも執着してしまった上の家の相続者は、恋慕の余り頭がイカれるほどであったのだろうか、フラフラと家を抜け出しては新し家近辺に寄る者となり、探し物は何ですか、探しゴロ! と子供にはやされたことがあったという。 後の人妻掛りのように、家に押し入る乱暴者ではなかった話であるが、さすがに、君、君と呼んでいた養父も今度は、フラッ、と呼んでしまったというから、正直な養父であったようだ。 他家の嫁さんにいつまでも、手もなく憧れていたって傍目が悪いではないか。 「こんな者にコニャックやれというんですか」 養父というのは、ワシントン族分家の家から後夫で上がった人でなかったかと推理している。 従姉妹と夫婦になっていればよかったのかもしれない。 これは他家の嫁さんが懐かしいばかりにフラフラッと家の辺りを歩いていたのを、子供達に騒がれてしまっただけの話、と言えようか。)  
 以上のことによって、日本の昭和の近代詩は、ピータン卵のように青白いのであろうと思われる。 
 薩摩仕置きに反したことの祟りというよりも、もはや世の中が、手の者によって文学者詩人を独占してしまうような仕掛けに出来上がっていた、ということの結果であろうと思われる。 
 その詩人達個人個人に送り付けられていた宿因 (盛大な預かり者としての礼に不実があった) であった、と考えられよう。