北上市函屋敷が故郷の地として描かれている。

 浅丘ルリ子が北帰行した小林旭を連れて上る、海の見える函館の丘は、北上市の函屋敷であった。
 浅丘という苗字に故地函屋敷の地形的特徴が表されている、という推理が可能である。
 昔函屋敷は住宅地に好適なささやかな丘の上にあった。 前後が低く広がっていて、特に前方は北上川まで遮るもののない広々とした田園地帯であった。 これを海浜沿いの岡地に譬えたものと思われる。
 波平、という名の源と考えられる。 海洋性の表現はすべてこのささやかな地形の誇張表現に因るものと考えられるであろうか。
 かつての仏のギャング映画に、明らかに函屋敷が暗示的に映されているものがあって、村道のカーブが地中海に臨する南仏のニースの海岸のようであった。
 仏の二人の大物映画俳優が、昭和30年代に北上中学校の階段下の地下室に滞在していたのであろう。 一人は自主的に脱出して仏に逃げ帰ったことがあったのではないかと想像されることがある。
 (たばこを吸う工員の未来を、函屋敷の地下担当者に誓わせたことがあったと言われている。 しかし、一方は、煙草も吸わない、「一人だけ人と違う」 人生という方角狙いであったのかもしれない。 下手をすれば犯人になる。 さすがに、概ね両方の狙いに近い事がある。)
 小林氏は、大陸の同郷の人が西和賀地区に入ると共に御登場されたものと粗推理する。 あるいは姉弟の道分かれかと思われるくらいに顔が似ていて、懐かしい。 そしてお母さんが浅丘ルリ子さんのような函屋敷出身の人。 
 「落城した」 とか、国の為に 「一歩下がって二歩下がる」 と言って各地に散らばった子孫の方達も大勢である。
 すでに北上市にも多い。
 根本株は函屋敷の日本人である、と言うことができる。