日中間三千年の懸案の一、赤の根源を究める。

  劉知朱ウという御前様を仰ぐ、朱ウ揃いの映画であることは何を意味しているのか。 (白木野の村田さんも劉さんであった、ということがあろうか。 村田さんに似ているので、笠さんが映画界の主役を張っているのであることは確かと思われる。)   
  「彼」 は赤出しの馬鹿である、という解釈があるようである。 バカー、と。 馬鹿にする、馬鹿馬鹿しい等の最頻出慣用語の存在をヒントに、後世の曲解創作の努力のものであると推理することができようか。 魏志倭人伝後漢後の歴史書三国志内の記事である。 中国史においてこのような強行は、前代未聞、後代絶無の極めて異常な噴出事件であった。 多くの工作が伴ったものと想像される。 古事記でさえ 712年の完成であれば、後世の影響下にあったであろう。  
 馬鹿顔を見せつけたいばかりの 「フーテンの寅さん」 であった。 何度馬鹿呼ばわりされているか数え甲斐のある、馬鹿面馬鹿呼ばわり映画である。 
  浮草社刊の民族主義的な歴史教科書。 深いことを言えば、このように本人もなく、あるいはペーパームーンのように、馬に運ばれているだけである、と事実を打ち明けているかのようなカバー写真。