何と言ったって、赤色ほど鮮やかで麗しい花の色、領巾の色はない。 紅一点と言う。

 一番である、というのが奥義であり、第一義であったと信じられる。
 以後の容疑、エピソードは後知恵のヴァリエーションみたいなものとみなすことができる。
 丹の字のごとく、貴重な染料でもあった。
 世界史の色分けは、中国を赤、韓国を青、日本を白、モンゴルを黄としていたようであるが、それだけでは、国の形で渾名を一杯集めるのと同じ思い付きに出たものに過ぎない。 (日本は富士山、蓬莱山の国の他なく、富士の白雪が印象的なあまり、白となり、サンと呼ばれ、白雪会の国として注連縄を張られたのであった。) 
 雪をドイツ語みたいにシュと発音していたのを、朱の発音に持ってくる。 また、雪白のように高いもの、学の発音に持ってくる。 朱学、尚学館。 朱は学者になる。
 中国史に朱を含めば、これ以上に美しい天上の国のデザインはない。 朱氏明朝。 何であれ、朱を帯びていないものは、文華人情の本命ではない。