日本が中国を凌ごうとしたのは、三千年の歴史において、日中戦争の時が初めてである。

 それまでは、十三世紀の元軍九州遠征が歴史上唯一の日中間の軍事接触であった。 隣国間の歴史としては珍しいことではなかったのか。 
 西洋近代化の進展と同時に、領土帝国主義の悪魔エリートたらんとしたのである。
 歴史三千年の決定に、日本が中国を抜いたのは、精々太平洋戦争後のエコノミックスに過ぎなかった、と言えるのではなかろうか。 
 明治以後の戦役というものは、結局身の丈に合わない無茶なもので、一握りの者の文化活動が東京の局地に花開いていたと言うにすぎない。 煉瓦造りの東京駅及びシンボルのような都市銀行。 無理の証拠のしわ寄せに、城郭と寺院と能は振り返る者もなく、身売りして歩いてやっと息を継いでいるような状態であった。