亘哲也氏や中曾山康弘氏、大衡氏が、家を出るときに海外を選んだというのは、堅事な人柄、意向があってのことなのかもしれない。

 台湾辺りを歩く姿の紹介が、みすぼらしくこれ見よがしに放浪的であった。
 つまり、異土のカタイとなるとしても、と組織相手にキカナイことを言ったが為の、報いの流離い生活に投ぜられたのであろう。
 東京流れ者
 市原氏の場合、徳之島までであった。