千葉氏の母親は京都始末会議から剣を授かっていた。
このことが何と言っても一番大きなことであったと思われる。
母親から譲られている大事なものをここに埋めている、と自ら口にしていたという。
埋却したのではない。
紫モクレンと南天の立っていた所との中間点の真ん前の位置に、会議への臣従の精神で捧げ置かれていたものと思われる。 現在、でんぐり返るのな、逃げないな、と塀際に、顔を覗かせるように白南天の木が立っているその辺りであろう。
うっかり取り払われてしまった南天の木であったが、あちこちに移植されて残っていたのをまた同じ位置に植え戻した。 今度は日当たりもよく病気にならず、来年の春には健康な花を咲かせてくれるであろう。
剣と十手を授かった家の日高見市民子孫は少なくないはずである。 上の家を本家、兄授剣者とする身上であったとおもわれる。
千葉氏は堅かった、ということであろう。