前代の組織運営経歴を振り返り、いくつかを整理してみたい。

1. 運動はESを超越してYであるべし。
 すなわち、地上の国家権力を込みにして進むべし。
 自然にも、国家権力者自体、ほとんどES込み、すなわちY皇帝であったり、Y詩人であったりして、世界史に並んでいる可能性がある。
2. 日本からも何回かEグループを招き入れ、国家権力者とのY提携を図ろうとしたが、これはYesとはならなかったようである。
 レセプションまでご接待があったらしいが、名高い文化国家からのベターハーフであるべきところ、歯が黒かったりして残念な結果であったようだ。
 ただ箸作法だけは珍しく気高かったのであろう。 橋姫、神橋、能の橋掛かり、賀茂神社の橋殿、きわめて特徴的な垂木の鼻の白々さ等、日本文化の最も要の所に橋が置かれているのも、この東西の遭遇と無関係なこととは思われない。 あるいは、階隠しというのも、舞という女性が箸を手で隠すようにした、その姿そのままを表現している軒建築なのかもしれない。
3. キックボクシング、テコンドーの始まりは舞にあった。 足刀あまりに失礼、と正座を押し付けられた沖縄の空手では、オリンピック種目に不足であったのであろう。 
 日本が、舞踊の踊が眼路の限りに消え失せ、静々と足を擦るだけの舞の国になったというのも、舞の勇ましい足刀のせいではなかったろうか。
4. Yにおいて、権力者側は一般に東洋を蛮族と思い、軽んじようとする。 自らを主に思い、日本なるアジアの小国を従として、負けまいと思う。
 スペイン広場に堰き置いたものとは、フォーラムは広々として、ドームの巨大さは桁の違いである。
 日本については、この頃成績悪いぞ、と評価する発言がある。 この頃の経済、アジア人勃興の事を言うのでなければ、近年の文化的創造活動の月並みさを言うのであろうか。 奈良京都和歌俳句以後は、西洋模倣の建築物しかなかったと言えまいか。
 日本と言えば、カルトゥーンしかないような国際社会であるそうだが、それでも精一杯のお世辞である事なのだという。
 祭り上げ空送中の国であるというメッセージなのかもしれない。 古きに、地下漫画工作を目にして嘲った和尚さんでもいたのかもしれない。
5. 地下組織活動を鷲に譬えている。 人間を超えるべく王命を下されたドイッチュラント。
 ローマ市から近代ドイツの国境ラインに、そのシンボルの形を移そうとしたことがあったのではないか。
  
   
   (イタリア遺跡案内のホームページから)
 あまり突飛なことではあるが、befahrenという言葉は、かつて青年ファブリスがドイツ方面に向かって歩み出したという事跡に因む単語なのかもしれない。 べ平連という、プラカードを提げて街の中を歩み進む市民活動の姿が思い出される。 ドイツ語独特の語頭Pfの発音についても疑われてくる。
 誰かが、彼の超人の国はドイツ、ドイツと強く主張したことがあったのであろう。 彼岸の世の中にあるようなノイシュバンシュタイン城とトランスツェンデンタールとツァラトゥストラウィーバーアレスゲルマン。 世界の名曲も、実は人の寄り付けないような超絶的な、プラグマティックコンダクターの舌が働いた成果なのである。 それが分からない限り、いつまでもプラグマティックな作曲、著作に回帰することができず、迷走するばかりの年月を経ることになる。
 ショパンも最後にはその手を不可解と思うに至るように、ドイツも超人の国としての飛行後、最後には人間性を外れる道に至ったようである。 アインシュタイン博士の超人的活躍も、最後には、人間の頭にない四次元宇宙論の陥穽に、延々と世界中の大学を嵌め落とす役回りと化したのであった。