世界戦略組織には、一次二次三次と三世代があり、

地球上の国家文明たるものは、すべて、ある拠点における会議企画と戦略指導の下に設計建造されたものであり、発明創造されてスタートしたものであることについて。
 人類の都市文明の祖が、世界戦略組織の第一先行者であり、世界戦略の会議は一万年前のアイルランドアイリッシュ海沿岸の地にあったことについて、以下の如く推理報告する。
 種族の決議は、必ず三大陸それぞれに一つ所を定めて集住し、高々と階段ピラミッドを建造することであった。
 チリのカラルとエジプトのサッカラとメソポタミアのウル。 このように遠く海を隔てて併発的に、ほぼ紀元前3000年頃に同時代的に都市とピラミッドの建造が始まっているということは、自然なことではあまりに不思議な符合である。
 地下組織の先祖たるものの決議と計画に基づく一致であると考えた方が、かえって非神秘的で納得し易い。
 巨石文明の真っただ中にあるアイルランド西海岸を、世界戦略会議が行われたヘッドクオーター地と考えるのも無理なことではない。
 新人類の遺跡はかえってヨーロッパ大陸の大西洋側に片寄っている。 人類の先祖はアイルランド、スペインで都市と地下水路の建造に必要な石工の技術を磨き上げていた。 そして各古代文明を用意したのである。 この第一次世界戦略組織だけが、都市建築に地下水路の完備が必須なことを弁えていた。 ゲルマン人の都市はこの事をすっかり忘失している。
 第二次世界地下組織においては、アイルランドアイルランド人が如何なる役割を果たしてきたかは定かでない。
 しかし、第三次世界地下組織において、アイルランド人は、世界のリーダーとして再登場を願われ、アイルランドは塞翁が馬のような民族の歴史を経る。 賢明な人類の先祖がいる、と 「アイルプロフェッサー」 と慶ばれたというのも、以上のような奥深い見識があってのことと信じられる。
 アメリカ合衆国の歴史の発端に、トマス・ペインとベンジャミン・フランクリンの二常識賢明人を揃えたのも、この人類史古代文明の主宰者たる、第一次世界戦略会議の存在を寿ぎ記念した事なのであろう。
 第一次世界戦略の先兵は東アジアにも渡っているはずである。 先祖達は果敢に足長であったはずである。 歩くしかなかったのであるから。 日本では縄文式土器のデザインに影響を与えていたであろうか。 東アジアには大都市文明の計画はなかったと思われる。
 インド、東南アジアと足跡を辿ることができるようである。 薩摩隼人というのもそのルートの末端にある人達と思われる。 (新人類全般の広がりについて語っているのではなく、推定ではあるが、ベンジャミン・フランクリンのような、第一次世界戦略会議種族である原アイルランド人の進出を語っているのである。 従って、小樽から岩手県中央部までのストーンサークルの足取りも、この第一次世界戦略会議種族の踏込と考えれば見事な一致を見ることになり、明解を得られたことになる。 また、この極東に伸びるストーンサークルの存在が、逆に、第一次世界戦略会議の冒険的企画の実在を証しているのである。)