中国が古代に如何に周辺の異民族を軽蔑呼称していたか。

 半島は、ワイとハク。 朝鮮という地名は、箕子朝鮮以来の地名ではなかろうか。 (韓という名も秦最大の隣国韓の由来があっての国名か。 歴史設計上の配置があったのかもしれない。)
 推理想像の領域ではあるが、この箕子が半島に渡ったのには、もしかして歴史設計の背景が働いていたのではなかろうか。 半島は箕の字そのままの形をしている。 これは実は、氷川神社という日本最古社の名前の由来への関心から辿りついた一つの終着点であった。 氷川は本来、箕、篩いを表す漢字で記されていた。 川の名前としては珍しく他地方にはないと思われる。 それがそのまま日本の出雲地方の神社の名前となり、関東の主要な神社の名前の由来となっているのである。
 北方では、鮮卑匈奴。 あるいは烏桓
 南方では、閩、夜郎。 蜀も本来は蔑称であったろうか。 また、吐蕃
 倭とは、特徴呼び名に過ぎず、中華意識側からの一方的な名付けとしてはなかなか友好的なものであった、と結論されるのではなかろうか
 とにかく虫、動物作りの国名でなくて民族歴史の幸いであった、と言うことができよう。
 国の形の渾名顛末というものは、あるいはすべて組織の自作自演というものであったのかもしれない