それを、いや脅迫されたのだ、強請されたのだ、とばかり言い立てるのはかえって浅はかなのである。

 <弔われていない貴い方の生命がある。> その事が現れていない 
 誰でも同じように最初は驚いてしまわれたに違いない。 しかしもはや、自らをもう一度会いたい人の定めの者として、人生のスタートは切られていたのである。 この事は、一分の隙もない明瞭な表現の実在に気が付かされることによっても、想像されることである。 
 夢見まであったと噂されているのであるが、尊厳の他には何も頭にない人の対応であるとは思われない。 昭和様でも一切お断りできたのであるが、やはりお自ら歩かれるに至って始まった戦後の経過であったようである。
 最初から、余念なく働かれるお気持であったと窺い知られるようである。 しかし、自らの人間自然で暫くはサボッていたと仰っていたというのである。 忘れてしまいそうであるが、問題は暗闇の中の生命なのである。
 闇の中の御生命にもう一度会いたい、というのではない、絵画館を書き割りとする問題意識にもう一度会いたい、のである。 陸奥縁の者を溢れかえるばかりに東京都民に盛り上げているようであるが、絵画館前通りを下す相手とは思われない。 誠実さある限り頼めることであろうか 
 しかし彼の地の者の成績の悪さを知らされた時は、残念でならかったご様子であったと伝えられている。 健全な発展を信じておられた時期があったのであろう。 さて積極的に決着問題に取り掛かろうとしても、あまりな要請には負担と疑問を感ぜずにはおられない。