猫ババ事件

 個人的周辺の問題であるが、上の家の父親と母親は共に小学校を卒えただけ、挨拶も知らない若者として上の家の兄となり嫁となったのであった。
 戦中時借金返しを手伝うため、子供のころから炭を背負って現金稼ぎばかりしていたため、身長が140センチ台と背が低いばかりでなく、伝統の料理というものを一つも知らないで育ってしまった。
 隣のK市に移転してきた時には、挨拶の言葉も口にできなかったという。 ンダナという所をンダナッスゥと言われては、気後れしてしまったのであるらしい。
 父親が倒れて母子家庭となって悲嘆している時に、実行組合の集金の仕事が回ってきた。 できないと隣の人に相談に行けばいい所を、なんと庭の東北の片隅に集金帳を埋葬して無いことにしてしまったというのである。 誰かが見ていたような話であるが、これが決定的に軽蔑を買う一発ネタとなって、周囲から軽んじられる理由となっていたのかもしれない。
 卑怯というよりも、隅に埋葬して無いことにしてしまう無計算の頭が情けない、ということなのかもしれない。
 しかし、書面を無いことにしようとしたというのは、江戸時代の先祖の為したことであった。 表具無しの仏画市中撒布がけしからぬという咎で、城下お構いという処罰であったらしく、墨で塗り消されている古文書が見つかっているという。 何故墨塗りされていたかと言えば、過去現在未来上の家を面のない者にしたいという、国民整理軍の仕事であることは間違いない。 エロ商売人にしたいのである。 これは一貫した、しつこい押し付け作戦である。
 布教撒布人はこの際、紙を土中にしたのではなく、口に入れて何と食べてしまったようである。 紙を食べる忍者覚悟の原点でもなかろうか。
 もう一つ地域住民の事情の違いに関わって、自己紹介たる一つの応答となる行動であったのかもしれない。
 証拠の戸籍簿があるか、という反論問訊である。 鹿児島移住民の山田氏はこの頃農地を分けてもらってこの地に入って来たため乞食呼ばわりをされていた。 そこでとうとう、証拠の書類があるか、と問い返したのであろう。 
 山田氏等は、自覚があるのかどうか分からないが、京都二条城会議の薩摩人仕置き計画に基づいて遥々陸奥の地に飛来移転してきたのであった。 
 すると、上の家の母親に鹿児島人の戸籍証明書面があるのかどうかが問題である。 母親の先祖は人の家の竃のコオロギみたいになるまで腹をすかしていたのであるが、何に化けるまでもなく住み着き、鹿児島人の戸籍は土中したということになるのかもしれない。
 猫ババということでは、父親の原点でもあった。 報告連絡相談して責任を取れない、ということでは、普通なら明日があまりハキハキとしないことである。 蔵の中の小美玉丸というのは、都晴美さんのような美人の事ではなく、口の欠けた芸術品の事であった。