山中送り狼儀式の推理解明。

 すべて日中間の人間関係においてある因縁が暗示されていた。
 それはなんと歴史的因縁であった。
 朱氏の時代、その一族の者を側道 (日本) さん運動に関与させる計画の下に、半島での戦いで日本軍側に付いた将の一人として鹿児島に入った武人がいた。
 後にその事を思い出して、山中送り狼的エピソードの演出が行われたのであろう。 市川雷蔵氏もその役で出ていたことがあったようである。 エピソードはしかしすべて女性チェイス事件と化している。
 本来は、中国軍を道案内して、山中の川に落とし込むという軍略行為なのではなかったかと想像している。
 中国軍は戦車を使用していたのであろうか。
 歴史プランの基本として、朱を含む、とか、紅一点、とかと表現される 「丹」 命題が掲げられていた、その流れにある企画であったと思われる。 そもそも秀吉の半島上陸は、目的地中国への道案内を頼むだけの名目のものであった。 歴史の悪戯というものを感ぜざるを得ない。
 子孫が側道を担当させられている、ということがあるようである。