上の家の姉もその伝で、武将であった者の子孫と目すことができるようである。

 ただ一人字もまともな、当たり前の社会的言動の可能な人間としての待遇にあったようである。
 しかし、20代の若さの脳外科手術二回以後、母にもなれない、料理もできない半無能人間としての後半生であったと思われる。
 しかし、体のあちこち、神経痛の痛みに耐えて、朝早くから勤めようとする毎日ではあったようだ。
 「姉だばいる」 とは、このような状態の人間でも、姉だけは健全である、というしかない上の家姉弟であった、ということを意味している。 努力家の弟は実は19歳で亡くなっていたのである。