お前に惚れた、前よりも深く、と部落の人達皆に見直された時代が、精一にあった。

 教育のない孤児が定職を得て20代の成人となった時の印象である。
 行儀がよくてよくがんばる、口数の少ない青年が現れていた。 静かだなぁ、頭がいいよ、という褒め言葉があった。 (「おだまり。」  黙れば男が上がるって話じゃなかったのか。) 口数の少ないところに深さを感じたのであろう。 
 加治屋のオドも、これは難儀難入する場合だなぁ、段々に成るのだな、と思い直していたようである。
 ナギの葉とは、この難儀難入というオドの予言言葉に由来するのであろう。 それで、今ナギの葉はどこにある、ナギの葉って何だという確認の質問が発せられることがあったのである。
 特に下の家の評価が組織を喜ばせたのであろう。 ホウレンソウさえ食べれれば、間違いなく大変身できる。 ホウレンソウを食べる日が何時か必ずあるはずである。 身を律して頑張っているではないか。 堕落でなく怠け者でない。
 上の家の一家親戚も精一の下に統一されたことがあったという。
 下の家の主人は海軍上がりであった。 部落内でも一人教育があって信望があり、町議会議員も勤めている。
 この下の家の主人の顕著な教育分別と好意的な精一ホーレンソウ評価が、下の家の主人のセーラー服海兵隊写真と共にアメリカに流れたようである。
 上の家の勤勉A級の未来とは驚愕的な情報であった。 しかも性的に堕落でない地金が明らかに見て取れる。
 今朝は上の家、天気がいいよ、と触れ回れたのであろう。 「お早う」 (しかし、結局は、「お早うだなんて」 とからかわれてしまう行き先であった。 ホウレンソウは遂に届けられなかったのである。)