著名人の給料は巨額なものである。

 アランドロン氏は生涯に一度コマーシャル撮影に応じたことがあった。 船上で背広を纏う男のワンシーンであったが、その報酬額が確か一億円であったと思う。 主演映画の出演料は推して知るべし。 
 プールの水面に浮かび漂う莫大数枚の札束を、アランドロン氏はしかし不思議にも、あわてず嘆かずに静かに眺め、何かをウエイティングしているようである。
 行儀のよい趣味のいいアラン氏は、母国フランスに四つの美術館を建てる夢を持っていたという。 それだけの金額であったということでもあろう。
 ヨーロッパの同士がそれを惜しんだのか、どうしてもアランドロン資金は日本を強盗し遂げなければならない、と力こぶを出したのかもしれない。
 そして、日本はアランドロン氏にまんまと盗み取られている、という図ではなかろうか。
 (船上で背広を纏う、というのは、中学生年代の少年が、親の庇護もなく学校もなく逃亡者となり果て、船を漕いでは教わったままに女性にウィンクを送って自活していたという、アジアの哀れみ話への初対面挨拶のようなものであったのかもしれない。 しかしその少年のその後には一面識してヒヤッとしたきり、もうどこにもいないような、人間でないもの、という極めて簡単な絶縁判定であったようだ。 「もう捨てられたものだね。」)
 この意外にも意外なアランドロン氏日本占領はどのようにして可能であったか。
 東北一領主子孫のの不倫児大量生産計画と全く同様のプロジェクトであったと思われる。 こちらをヨーロッパ計画と名付ければ、一方は、アメリカの西部劇に、今度は大人数だぞと思いっきり大量の牛の群を河渡りさせる場面があり、先祖地近くの河岸風景がよく映されることがあり、その子供たちは長じては各方面で活躍し、宇宙計画でも大いにもてはやされているようなので、この場合はやはり米国のナサ計画とでも呼ぶべきものであろう。 ナサ計画はあるいは戦後の計画であったか。 一気に大人数を成すものである。
 それと同様の大人数計画であったのであろう。
 そして有力な先輩ジャンル系の子孫との連帯。 私は何だというよりも、といった自覚の先生方が少なくないと思われる。