上の家の父親 「そん健」 が中学一年生の時に鑿を以って身を守った子供苛めの男も、九州行した孫屋敷安氏の子孫であった。

 この安氏の若者子孫は、自分の恨みでもなんでもなく、ただ金を貰ったための頼まれ仕事であったらしい。 嫌だな、と呟いていたという。 自分も警察に捕まりかねない。
 この時、孫屋敷に上の家は無く、孫屋敷在住の安氏グループは上の家を認知していなかったはずである。 澤内九州中国沖縄と連れられて行く私生児子孫達の顔も行方も関知なしでいたと思われる。
 つまり、未知の間柄、上の家と孫屋敷安氏との確執のようなものが根本にあったと思うのは誤りである。
 鹿児島の中学生事件も、花泉の夜の刺殺事件も、犯人には何の自分の気持ちもなく、ただ金を貰って頼まれたまま、組織の命令のままに動き起きた事であった。
 刺殺者 「そん健」 が上の家に入ったのは、終戦直後、まだ上の家が伝来の湯田町の片岡の上にあった頃である。 善二氏が前郷の家に 「帰還」 したのは更にその後の事であった。 東大に入る前の安氏子孫橘氏が、湯田町で背景仕事をしておられたというのは何時頃のことであったろうか。