二条城薩摩上げ約束というものが本内部落に降ってきた時、五郎八の家は素直に薩摩人の上の家である事を承認したようである。

 協力の一つとして、分家の家を接待所として提供した様子が見える。 
 その見返りとして、大川橋蔵や山城新吾の美々しい若様姿のスター登場があったのではなかろうか。 娘二人を精一の姉妹として送ったのも、裏切って地位を奪おうとしたからではなく、あくまでも応援の為であった。
 お城での大名様の御合議というものを高くいただいて、さてどういうことになっているのか、様子覗いをしてみよう、というスタンスであったようだ。 (江戸時代中に、眉を顰めた物陰からの覗い姿に会ったのが出会いの始まりであったらしい。)
 娘二人の内の一人の夫として、盆参りを欠かさなかった黒渕氏 (夫婦とも五郎八家の子孫であった。) もそういうことであったし、NHKのアナウンサー氏も長く覗う姿勢であった。 三船敏郎氏だけは顰め面でつい唾をしてしまったのであろう。 ヒゲを剃ったきれいな城中侍には遂に与れなかったようである。