世界遺産平泉の風景。

  
 国道沿いの、関越え一番最初にある片岡の上の屋敷である、という上の家の基本情報があった。 
 屋敷とは農家の敷地のことを言ったのであるが、邸、敷地が広く構えが立派で大きい家、と理解されたようである。
 そのイメージを表現したような建物。 日本最奥の関、衣川の関を越えて最初の丘、陣が丘に位置している。
  
 最上階の喫茶店から展望写真を撮ることができた。
  
  中尊寺関山と高館と北上川を挟んだ東の山並み。
 束稲山。 この陣ヶ丘から川を渡って、陸奥軍は大和軍を討ち返したと掲示板に記されていた。 また源義家が川を渡って安倍貞任を追ったのもこの丘であった。
   中尊寺方面を拡大して見る。
   左、関山。 右、かつて北上川が勢いを緩めて土砂をダンピングした跡と思われる県境の土地の高まりが見える。 川はその土砂に自らの流れを止められて、東に直角に流れを変えている。
   東山尾根と懐古館。
  昔の衣川の関に被さるように走る高速道。
   立ち入り禁止の懐古館。
   丘の上の家に対する期待と運動の始末について、お城 (二条城) 陣会議との固い約束が交わされている、という二つの建物の組合わせ方なのではなかろうか。
  
 その実現を阻むような設計があったのではないか、と疑わせるような目立った曲がり方の高速道路線。
   お城と組み合わせのように建てられている建築物が暗示していると思われた、彼方の者の未来については誤解があったと思われる。
 実は、上の家は見栄を張って威張るような繁栄と贅沢に与る家ではなかった。 かえって人並みの寿命と健康と給与にも与れず、無文化と無教育に終始する家であったのである。