新選組紫モクレンの一枝

  友紀さおりさんのルーツもこの紫モクレンにあった。 もう一つの人数多い子孫グループであった。 菊地氏、中尾氏、安奈氏、原氏、岡江氏、マヒナと岸氏、中谷氏、・・・。  
 直接には西の家の「子孫」なのであるが、その母親が新選組の一枝として上の家に入った鹿児島人の娘であった。 父親も鹿児島吉田義男縁。 母親側に鹿児島に渡った本来の西の家の血筋が流れていたようである。 石原真太郎知事みたいなものである。 
 もう一つの一枝が以下に説明するところの、久能木氏の先祖山田氏。 京都集合のいわくもあって、指名を受けた殿様子孫の方も、拒むまでもなくお勤め要請に応じられたものと思われる。 駆逐的な行動は、後の代の方の単独的な判断に拠るものであったようだ。 約束通りの千年の事があるとも思われず、また千年の事にふさわしい相手とは更にも思われなかったのであろう。