確かに、他に世界遺産と呼ぶべくに相応しい制作というものは、世界史年表に絶えて無くなっているようである。

 この天気模様では明日も明後日もあるとは思われない。
 制作工房を再び起こす予定ではないようである。 例えば斉藤茂吉小林一茶ぐらいの作品、これからでもやる気なら何度でも立上げ可能なのである。 以来ずうっとなかったということは、組織が永遠に力を失って、「(私達) 拙くなってしまった (堕落して不良ばかりになってしまった) 」 からではなく、組織自らが二度としない、と決意しているからに他ならないのである。
 力とは、ある種遠慮会釈もないプラグマティックな探究心を基としたもので、人間の仕事としては極めて独特な情熱に依るものである。 この種の体系的総体的努力が百年以上もの長きにおいて試みられるというような事はもはや二度とないことなのかもしれない。
 さすがにアルプスラインのように高かった。