上の家の先祖が9人の女性を殺めて遺体を川に投棄した疑いについて、下記の通り報告したい。

 9人、という数字があるのであれば、同心捕り方による念の入った捜索があった事であることが想像される。
 一人は高峰美恵子さんに似た人であったことまで伝えられている。 鼻の高い往年の女優さん方でそろえられていたのかもしれない。 犯人は映画でいうなら山崎勉。 「決して許されない者だ」と女優さん方の診断があったらしい。 獣である。
 このような大事件が地域の刑事史に残されていないはずはない。 しかし、捜査の結果は不問に処す、ということであったらしい。
 井藤加東市川グループが地域に現れる以前の事件であった。 どこまで背景が見えていたのか、事情に通じている盛岡との連絡があったのか。
 とにかく山崎勉は阿片にやられている。 仕事に精が出ていない。 手仕事がなでるように表面的で、立体的な修繕製造に至っていない。 女性は海外から工作的に寄せられたものであることは明らかである。
 経緯のメモを記す。 集落に母子家庭を紹介される。 妹は仁木輝美さんのような少女であったらしい。 和美さんにそっくりである。 これは平和な農村にとって奇妙な事である。 依存女性を抱えよ、ということではないか。
 このわざとらしい女性家族を置かせたことが、西口集落の落ち度である、という新町の評定があったという。 今日もそっくりな事が日本中に広がっているようである。 後は、後の祭りである、というご明察であったようだ。 佐橋氏の仕事ではなかったか。
 留守中にその家族が道場に入っているのを発見する。 私刑を加えたようである。 分家の者が、新町に届けれべいい、と忠告したようである。 この時には乱れ始めていたのであろう。
 後に、どうぞ食べて下さいとでも言うように美人が歩いてくるのに、勘が働くのか、集落の外れの坂道で待ち構えるようになったため、やはり分家の者がわざわざ番をして止めようとしたらしい。
 他集落にまで女性の絶命時の悲鳴音が聞こえた、という記憶が伝えられているようである。
 とにもかくにも山崎勉は罪を問われず、その地域一帯の信用と地位を失い、他地域に移住する。
 この後に背の高い井藤氏が上の家に上がる。 分家達はペテンを見抜いているから、お上のすることとはいえ、すんなりとは受け容れられないものがある。 この地域民達に向かって、俺をだんなと呼べ。 お前も窮すれば、あの本家の者と同じ獣になるぞ、と百獣の王みたいに高飛車に出たこともあったらしい。
 江戸末期には井藤氏上の家は他集落に新たに分家を持つ踏ん張りを見せて、150年を我が唯一の故郷としてきたのであるが、この期に及んでかみ合いは激しくなり、分家の若者たちは泥棒まがいに地域の家に通う状況であったという。 一俵も取れなかったことがあったようだ。 田に何か撒いていたらしい。 組織が指導したことであろう。 この時の腹を減らした姿が、頭でっかちの子供顔の 「どですかでん」 であったように思われる。 
 分家はこの時、しかし、組織の指導を得て地下に潜っていたようである。 どのような術が江戸末期にあったのか、井藤氏上の家は耐えられずに道を歩き、怒号していたという。 「もういいじゃないか」 あんた方も腹をすかしてすんでのことにガリガリじゃないか。 「ここがふるさとなのだ、どこにも行く所はない」
 組織の新選組計画が運ばれていたのである。 分家の活動員ももはや戦いの精神ではなく、組織実行の一兵卒となり果せていたのであろうか。