上の家の弟殺人に判子を捺し名前を並べたのは、満州藩侯子孫あるいは混血(半)子孫等5人程であったという。

 これを称してハンコ作戦という。
 預かり人である義兄の牛崎氏を丸め込む為の悪戯行為であったようだ。 牛崎氏はかつての伊達藩士であった。 連判状に藩主の名が並んでいると思い込ませようとしたのである。 (やっとの事で育て上げた貧家の子供相手に 「仙台の人は根性が悪いと幸子言っていたっけ。」 周囲の涙にも鈍感な母親の言葉であった。 しかしそれだけの追い詰め協力があったというだけで、その斬った刀で更にどうかしようという悪意で決まっていたのではなかった。)
 未だ19歳の少年を刺し殺すような作戦に、名誉ある自らの名を貸し出した日本の藩主子孫は一人もいなかった。 藩侯子孫の五人の人達も自分の方から作戦に近付いたのではなく、ハンコーという浅はかなる語呂合わせのアイディアに言い寄られたに過ぎなかったのである。
 またハンコを捺したに過ぎない者と実際にずるずると引きずり凶行に及んだ実行犯とは全く同列でない。