沢田研二さんの CD が王室特別便の名で発売されている。

 全作品がスペイン王室からの特別なるメーセージのようなものであると仮定して、その歌詞、振り等を解明してみよう。
 いろいろな事が明かされてくるようであるが、今回は沢田研二の細長い顔が何を意味しているのかが見えてきたようである。
 沢田研二顔はスペインに渡っていなかったのか。
 カーペンターズのカレンの顔に似ている。 何とこの顔の形は犬歯の形を表しているのではないか。 顔全体を牙そのものに見立てるとは余程印象的な事件があったに違いない。
 らくだのシャツ来て出てらや、とは星のフラメンコの西郷光彦さんの事であった。 袋を担いでステージに立ったスペイン人がいたのであろう。 「オレッ」 離れているのさ、遠くで星を見るように、大事な宝隠すように、と隠れていたのか。 
 一人一人星影のステージに登場させよ、という歌謡ショーのようなものが想定される。
 坂本九は本人が登場を遂げた場合なのかもしれない。 見上げてごらん夜の星をの歌う姿の疲労困憊振りの意味が見えてくる。 米国ではスキヤキの曲名で大ヒットしたのは上を向いて歩こうであった。 自分達との結合に明日に向かった意義があると訴えたのであろう。 背高の登場である。
 星の文句は出て来ないが、恐らく西田敏行はだけどうちにはピアノがない、と謙虚な言葉を発したのかもしれない。
 チェッカーズも星影のステージに実際にグループ登場した例なのかもしれない。
 きっと指導を受けレッスンを終えてからの若者グループサウンズであったのであろう。 決まって、身に着けている洋服が大きすぎて手が隠れている。 身に合わないものを着せられている、と謙遜したのであろう、「ご本人の生まれつき才能があってのトップテン入りと思います。」
 千昌夫さんの場合は本人不在か。 長靴穿いて出て来てるじゃ。
 冷たい心じゃないんだよ、冷たい心じゃないんだよ、仕方がないんだ君の為、別れに星影のワルツを歌おう。
 犬歯に掛かった肉キレの場合、あまりに苛酷であった。 それで精一杯に王室現場直行のヒット曲を送り続けたのであろう。 On the top of the world。  どうぞメロディ、とはっきり日本語で挨拶している。
 思えばこのような痛々しい東西の出会いと齟齬があってこその日本国への精々のメロディ贈与という、世界企画が存在していたのであろう。 明治の世にも美しい童謡の数々があたかも星の光が降るようでもあった。 近代詩近代小説近代絵画といろいろな発展があったが、メロディが一番清清しく輝いていたことに気づかされる。 世界レベルの中味があった。 しかし海外への紹介が難しいジャンルであった。
 スペインに渡った日本人たちは、スペイン国民に仇を為しスペイン王室を裏切ろうと考えていたのではなかった。 ただ一つフィアンセ信実が疑われてならなかったという事なのであろう。