1700年代に英組織に掴まるまで、西口神社は長々と藤原氏以来の命脈を保ってきたようである。

 その後の経緯は深い事情があってあることなので軽々には触れることができない。
 とにかく幕末期には、神社本家とその第一分家からその古い血脈を伝える者は姿を消している。
 その第一分家の更なる分家の者が近くの地域に発展して一族の軒数を並べていたという。
 田んぼの少ない片岡状の土地ながら第二分家もあった。 今ではその地域にはこの分家の更なる分家の家と上記の更なる分家の家がその血筋を伝えているばかりである。