2012-01-01から1日間の記事一覧

1730年に上の家歴代の世襲相続は終了している。

古い記憶でも後の井藤氏の先祖の顔形しか思い出されない。 後に鹿児島人の遺伝子が輸入される。 長男として、次には不倫児の親として、また長男として。 従って、上の家の者を見たことがあると言っても、井藤氏先祖か鹿児島人の他はないのである。 六部巡礼…

1700年代に英組織に掴まるまで、西口神社は長々と藤原氏以来の命脈を保ってきたようである。

その後の経緯は深い事情があってあることなので軽々には触れることができない。 とにかく幕末期には、神社本家とその第一分家からその古い血脈を伝える者は姿を消している。 その第一分家の更なる分家の者が近くの地域に発展して一族の軒数を並べていたとい…

藤原神社の東側には社下りの和賀氏家臣がいた。

遥々と渡り歩いてきた十三歳の少年を太夫職雇いしたことから始まったのではないかと想像されている。

西口神社は和賀氏時代にも登場する。

戦国時代、争い合う和賀氏と小野寺氏との国境近くの往還沿いに神社は位置していた。 中代氏等はこの時代どのような活躍をしておられたのであろうか。

その中代氏の発言が伝えられている。

私は朝から勤めていたのだが、彼はその時路傍にいた。 私が頼んでも、運の悪い不始末のせいで、野に置かれたままであった。 漫画を描いたりしていたという(これは別人の言い伝えである可能性がある)。 古代安倍氏奥州藤原氏の時代以来のメモランダムである。…

中代氏もどうやら三舟氏と同窓であったようだ。

黒沢氏はアンカー勝負で終始する、と心を決したことのある人であったという。 その意味合いからも当然のカップリングであったか。