五人の村民の被害が伝えられていた。 このような若者達であったということではないようである。 招かれるように一人ずつ坂道を上って来たその半ば辺で襲われていたらしい。 地下組織の眼がある地点であったようだ。 一分間の仕業であったという。 フォークのように突き出した二本の指で眼を抉り出すという、極めてあざとい専門的な殺人術であったようだ。 「宗一さん」一人の仕事であったと思われる。

 ・関連 西の家はフォーク状の地下壕の上で暮らしていた。 ホッケ魚の給食を受けていたという。 これは旧領主重臣家系小山田氏「本家」の志ではなかったかという報告があった。 地下組織の言うがままではなかった。 大荒沢を歩く家の状況を見ても地下組織の指定する位置を嫌い、片岡の背後下からの長い暗い道を選んだのだという。 清潔な情けある人達であったと思われる。 恋人のように会いたい人になってしまうであろう。 成績が良くない、つまり西の家自身に何の上昇もないではないか、旧来の本百姓に帰ろう、とか、路銀は出すから旅に出てもいいじゃないか、とかと地下組織状況からの脱却の途を提案したものだという。 どんなにか良かろう、田畑仕事も嫌いでない、しかしもはや回りはブチメン(世界活動の臍の渦巻き)である、と言って、地下組織とのダンスの途に執着したものらしい。 自分達の成績なぞもはや眼中になかったのである。
 小山田氏を恋人に思うという事には、前段階の藩内の事情と村内の事件が関わっていたのである。 
 藩は、沢内通りに多勢いる旧領主子孫とその家臣たちの謀反の動きを本気で疑っていた。 領主系佐橋氏が片岡で犠牲者となっていても新町は調べにも出て来ない。 自分の鬱勃たる風雲の気のままに山中を迷い道する佐橋家の若者がいて、勢い余りの行儀の末か、番所前において無礼者切り捨て御免の刑罰を喰らう事があった。 その番所には叔父にでも当たる佐橋氏が座していたのであろう。 「とっても武」 その後には藩指定の銘木討伐の責任者として、藩に務めていた佐橋氏が処刑され、以後佐橋家は藩士の位を失い、その後に加東氏が座ることとなる。 当然にも一番の重臣家系である小山田氏にも疑いが掛かる。 その仕置きのような意味合いで、片岡の仕事の任務があったものと考えられる。 新町から片岡まで歩いて通うも長い距離である。 二人の娘を神社祭りの手伝いに出さなければならない。 組織の思惑のままなら二人はピンキーキラーズの被害者とならなければならない、という刑罰を受けるに等しい重労働重負担役であった。 丸顔姉妹の姉は阿片を懐中して神社旧家潰しの犯人手先にならなければならない。 妹は紐で結ばれた四つ脚のものにされて神社前の見世物にされたのだという。 相手を小山田氏の娘と知ってか知らずか、しかし、すでに神社当主は阿片重症患者となっていたのかもしれない。 身内の届け出のアドバイスも受け入れず私刑の途を取ったようである。 阿片を持って行っても新町は認めてくれまい。 新町は最初から双方お構いなしの方針であったのも知らずに。
 表面的には、十三歳の少女を虐待したかのような振る舞いは、とりわけて目覚ましい出来事であったはずである。 しかしこれは、私刑の振る舞いであったとは言えないのかもしれない。 一度人の眼に見せればいいのだろう、という思い切った逸脱行為であったと解釈することができる。 最初は単純に神社を地域一番にするお祭り騒動と考えていたのであるが、阿片も盛るし事件も用意する、これは何かしら自分達を裏切った仕事であったようだ。 
 「誰が為に鐘は鳴る」 大田村の寺の和尚さんまで参加していて、誰かを弔うが如く鐘を鳴らし続けている。 これは地下組織の解せぬことであった。 「誰が為に和尚さんは鐘を鳴らしているのだ」 金の道以来の伝統の神社家が今日滅びることを悼んでいたのである。
 もともと藩の命令のある仕事と考え、従順な一領民として受け入れた事であった。 欲張ったことではない。 どういう事であろうか。 我が家は弔われるのか。 とにかく願われた通りの途を進もう。 (もう一歩進もう。) 汚行すればいいということだったのか。 この時には、私刑しかあるまい、という気持ちはすっかり消滅していたと思われる。 思惑の真実は自分に好かれ悪しかれどのようなものであろうか。 阿片を盛る姉を見つけて怒り狂う。 私刑犯人となる。 それだけの舞台であったのか。 やはりその後の何かしらの発展でも期待できるのか。 祭りの為にかえって貧しくなっていた。 とにかく汚行というものを為そう。 少女を毒物犯人のもう一人の手先として怒り、汚行して見せよう。 この時なぜ少女を獣にして見せることとなったのか、何かの訳があったと思われる。
 これが、西の家が地下組織を面前としてその指導の下に動くことになる以前の、最後の個人的振る舞いであった。
 二人の面影は映画俳優となっても人の世に現れる。 丸顔の高峰美枝子と高峰秀子のペアであった。 苗字が高峰であるということは、二人は彼の旧領主一番の重臣家系の娘であったという事を示しているのである。 「会いたかった、会いたかった」 という恋人の二人とは、仕組まれた犯人関係で結ばれてしまった二人の娘さん達の事を因としていた、と言うことができよう。
 明治維新後社中西の家の血筋は絶え、新たな家系の人達が継いでいるが、二人の高峰姉妹は今度は西の家自身の家族として現れ続けて来たのである。