上記幕末事件は今度こそという悲願の掛かっていたことであった。

 世界初に成功したようである。 ドイツには人の世に二度と現れないモーツァルトがおり、中国には毛沢東以下現在に及ぶ指導者の列がある、という観測と口伝えの連絡がある。 しかしモーツァルトは1756年生まれの人である。 上記事件関連の天上の雲実現というのは無理であろう。
 しかし世界組織としては、西の家を世界文化の臍として展開したことに変わりがないのである。
 よそえ絵のような世界のサミット名鑑であるが、確かに片岡の地を訪れた「ロゴマーク」因縁のヴィヴァルディでありバッハでありヘンデルでありベートーベンであった。 西の家がなくてははかどらぬソナタでありモーツァルト計画であったのである。
 一旦悪評に墜ちてしまいそうになり、長の旅の路銀の心配まで受けた西の家も、その後は復活して、井藤家上の家や大荒沢一本杉旧家に娘を嫁がせている。 (ボランティアに訪れた近村の旧家の二人の女性との出会いが重大問題であったらしい。)
 明治維新後の輩出以前にも、一茶がいるという情報が入っていたらしい。 文人画人庭造り、いづれにしろ何かの背景なしには世に出ることのない世の中となり果せていたようである。