ついでに、片岡村外にセットされた三匹の侍との出会いについても触れておきたい。

 親しみやすい、愛敬ある顔の造りを共通の特徴としていようか。
 遥かなる大塚周夫渡世人の子孫達に違いない。 周夫ももっと平な眉丘の下り方でなければ、島国の人は警戒してしまって仕事にならない。 
 特に日本雪絵式千秋に実る、の言質と共に日本国土に上陸した人がいたのであろう。 
 雪夫人と平の組み合わせを思い出す。
 渡世人そのものの名の周恩来氏の縁者も、江戸時代の関東を仲間二人で走り回っていたという報告があった。 日本人受容度ナンバーワンであったことが想像される。 帰ろかな、とおふくろの事を思いながらも、雨合羽を来て街道を行くヤン州カモメのさぶちゃんに降りかかる紙吹雪の程に。 想像に過ぎないことであるが、さぶちゃんはもしかして「坊ちゃん」の一ルーツとなっているのではなかろうか。 格別に坊ちゃん坊ちゃん顔である。 
                            


                                以上の記事を今回は特別に裕二郎氏の心に捧げる。