子孫福原瞳の眉毛の黒いのは、以上の西の家先祖から受け継いだ遺伝であったようだ。

 子役スターでもあり卓球選手でもある福原瞳の過去のラインはしかし、平家物語創作の世界史プラン時代にも遡っていた。 子役は小さな体で縁の下岩陰の穴に身をひそめ、盛んに清盛公の眼に夢魔の光を届けていた。 これを福原の夢という。 公の瞳をねらう姿、サーブ玉を打ち放つ卓球選手福原瞳そのままである。 プランの心は清盛を早く京都にもどそうということにあった。 だから福原瞳は何度も何度も悪夢の光を放ち続けたのである。 
 福原の顔は大江健三郎氏と似た、瀬戸内海人独特の輪郭を有している。 福原瞳はまたあらぬ所に居住地を移す。 国見ヶ原から東京へ、東京から青森へ、青森から東京また中国の瀋陽へ。
 福原道案内人の一人としてやはり陸奥に連れられて来た人がいた。 世界の名曲のモチーフ探索旅の案内役も頼まれていて、今回も道をわざと踏み間違え、山形の山寺を紹介してしまったそうである。 岩にしみいる蝉の声とG線上のアリア。 山寺の階段道の垂直な落差と無伴奏組曲。 屋根から下るのがつららではなく大根(ビート)であるというのは世界遺産芸術にふさわしくない、と勝手に道を間違えたものと想像される。 しかし湯田弁じゃじゃじゃじゃはベートーベンの交響曲第五番運命のモチーフとして組み込まれる。
 余談ではあるが、捜索人はきっと福原の東北地区教会堂をも訪れ、興味深げに勇気ある宣教師の活動の跡を尋ね、その故郷の名シシリア島を胸に刻んだことであろう。