何かの縁ウの関係者であることは免れがたいような、忙しい日本史人事であったようだ。

 春日八郎に倍賞千恵子、・・・フーテンの寅さんのトラの家全員。 ・・・多くなってきたな。 草餅の旗印は、東北岩手からの縁もある、という重なりの集まりであることを掲示しているのであろう。 また桜餅もあるよ、と。 (遥かなる白木埜縁か。)
 岩手といえど七つの雪が降るという。 で、寅さんちょっと威張ってしまったという事ではなかろうか。 サンダル履きで頂戴に上がったようなスタイルも、故地縁のエピソードに基づくものと考えられる。
 またまた「フーテンの寅さん」を解題すれば、キャスト全員朱子縁一筋を有して、馬鹿ー、馬鹿ー、と何かに向かって声をそろえているという風景を下地とした映画、とまとめ上げられようか。
 山本学。 学をシュと発音するようになったという事には、意図的な何かの働きがあったものと推理される。 明朝の時代の仕事か、清朝の時代の仕事か、未だ教わる所ではない。 図書館に行けば解答の得られる問題であろう。 呉をフーと発音し、興をシンと発音し、耳や二をアールと発音する。 決して自然な事ではない。 政府か何かの創作的な仕事である。 世界プランを意識した感覚的呪操作というものに過ぎないのかもしれない。
 いずれにしても朱を入れる、朱を注ぐ世界史プランは、豊臣秀吉から始まって今に及んでいるのである。 古きには紅一点、青丹よしの丹の字の如きアイディアであったのかもしれない。


        注記 馬鹿ー、馬鹿ー、とは、あれは皮剥ぎの赤馬鹿ではないか、と盛んに貶めそうとするグループ行動が昔にあった、という演出であろう。 「本当に馬鹿だよなあいつ」 「馬鹿、馬鹿」と何回馬鹿暴言しているか数えきれないような一篇からシリーズは始まる。 俺をフー(虎)天−帝釈天の産湯を使わせられた寅(イン)次郎だと、と吃驚した寅さんみたいな男がいたのであろう。 すっかり無根拠な言い立てでもないようである。 国造り神話にも、皮を剥いだ馬を建物の中に投げ入れる乱暴話が書き入れられている。 何かの比喩と考えるべきであろう。 (実際に馬の皮を剥いだのかもしれないが、) 日本列島は馬が転倒したような形にも見える。 国の形をモチーフにする建国案に合わせた、壮行の会というものがあったのかもしれない。 桂馬とは転倒物語の表現のし直しであろうか。 しかし、魏志倭人伝は、日本の国々の名に邪馬国と奴国と投馬国を並べ立てたいだけのプロパガンダ精神に満たされた書面であって、記録文書たる内容としては、海南島から持って来たようなとぼけた、わざとらしい史書であると言わざるを得ない。 しかも、北海道の形まで含めてつくづくと眺めれば、日本の国は鹿の方に近く見えてくる。 これは、言葉にある馬鹿というものではないか、とシャレが働いたのかもしれない。 とにかく馬鹿案はあまり効いた話ではないようである。
 バター、バター、と顎を引いてたしなめるが如く音声を発し続けているその「久方ぶりの」堅物の人こそは、りゅう智衆校長先生であった。