組織は人類の遺伝子を悪選択淘汰している。

 武力支配の歴史こそ強殺遺伝子が繁栄する世の中を作って来たのではないか、と問われるなら正にその通りである。
 しかし、あえて違う点を挙げるとすれば、それは世の中を覆いつくしているような体制的な「名誉モラル」とでも言うべきものに並ばされてきた事であって、逃げ隠れのないあからさまな勤め口であった。
 この間の報国兵隊も似たようなものであろう。
 従って世の中が武力主義でなくなり、法治主義が行き渡れば、不法暴力、反則は恥となり、人より劣性な犯人であることになる。 自分の振る舞いを、社会の「名誉モラル」のように宣言し明示することはできない。 簡単な言い方をすれば、法治段階にある人類社会において、一般でない。 条約社会において一切面子のない所業に並ばされたことになる。
 しかし反論の余地は少なくない。 この場合特に集団的環境的国家的圧力があったことで、一兵卒としてリクルートされたと同然である。 強制されたと異ならない。 世の中はとっくにあきれ返ったもので、地下社会の反則こそ社会の一般である。 組織と付き合わずには、進学も営業もかなわず、他人に後れを取らぬよう果たすべき真っ当な人生の努力にも至らない。 未だ世の中、なかなかの暴力盗賊社会である。 ・・・ 個人個人の遺伝子を簡単に測れるものでない、長い歴史と大きな世界社会背景があるものであった。
 とはいうものの、ロサンゼルス辺りの米国人が予言していたという。 「日本明日腐るな」 強盗殺人無感覚をベンチマーク条件に「ミルク、ミルク」国民を大増量するという、世界史初の計画が進行中である。 予言が当たるかどうかは別にして、総じて横並び主義の特性が一段と助長されることには違いないのではないか。 (横並び主義が弱いと言うことはない、かえって弱い者いじめに走り易い。 欧米植民地主義の後を追ったこの間のアジア諸国侵略戦争における、報国国民の無感覚無反省と同様に。)
 いずれにせよ、人間って弱い者だな、という告白的感懐の言葉には我が身自らと共に共感するところである。