写真集 5月

 マティス−ダンス テレビ放映用の秘境地小隊旅行というのがあった。
マティスのその人体の形と色は、極限的に objective である。 有用性に絞られている。
 
 
 高校周辺を捜索する。 古木が残っていた。 満開だった。 最後の一枚は簇出する朴の木の若葉。 朴の木は日本特産、ありふれた木であるが、長大な葉の車輪に囲まれて開いている、その特大の花を眼にすることはなかなかできない。
  差しで私に向き合える者はいなかった。 しかし日本の唯一の首相も、中国及び米国との差しの首脳会談を実現するには至らなかった。  
 母の実家の社は、墳墓の岡のもう一つ奥の岡の上にあった。 なかなかの急坂が控えていた。 旧街道の左手片岡に藤原朝以来の仁左衛門の社があり、右手には善右衛門の屋敷と背後の杜が南方を見下ろすようである。 「神父さんが楽でなかろうから、駅ができるような秘境地にしよう。」
 従来の、発病には至らないが、タッチの大差を付けられてしまう薬物食品の一つ。 日本人はそろって背丈中学生並みで眼鏡を掛けている、というステレオタイプがあった。 あるいは、一般国民並みに昭和天皇陛下もその被害者の一人ではなかったろうか。 何と、他に何の飲み物も無いような国民全員ビールと和食基本食品である味噌などによって、一般国民は長く小者差別行為に掛けられてきたのである。 映画を観ても、「横綱」は決してビールをぐいぐいと飲み込んでいなかった。 和食を選ばれていた昭和天皇陛下の伴たる心意気からであろうか、俺は潔癖をやる、とソバと日本酒の殊更な和食一辺倒振りをテレビに映させていた、先代福田首相の、サミット記念写真横一列における、異界人のような背丈の低さと顔の小ささを皆さんは記憶しておられるであろうか。