上の家は、遥か藤原時代以来今日に及ぶまで、、江戸時代のある時において一度無念であっただけである。

 倉の檻に隠し置いて何日やっているって、私は四年やっている。 別けて棚の上に祀り上げ、隠し立てもなく、四年はお経を上げてきた。 「神社でない、寺だ。」
 後の世にも多発してきた、薬物人体預かり事件というものであった。 現代の中間子遣り取りCERN現象というものの背景ともなっている。
 もう宮勤めに戻れない。 と言っていたというのであるから、藤原時代以来長年月、江戸の世に及ぶまで、ひたすら真面目に勤めてきたことが知れるというものであろう。 (水沢の駒ケ岳神社と並んで祈祷願いを請けていたことを記す中世の文書記録が存在しているという。 頻繁にあることであったのかもしれない。)