東京湾は奥が深すぎて、一方向的な大空気流のスタートラインとしては失格である。

 逆に、北西からは赤城山榛名山浅間山の三山から吹き下す大平野の空っ風を、西方からは奥多摩の三峰山、雲取山から伸びた風洞内の空気流のような風を、円の中心のように浴びる所が江戸である。
 江戸っ子の恐いものに、地震雷火事親父という順番がある。 ある季節において雷は毎日あるものと決まっていたようである。 日本には迷子文化というようなものがあって、子供が行方不明になる魔の夕刻時という用心の言い聞かせがあったりする。 雷も子供のへそを狙った雷神様の仕事と考えられていた。 一日のある時になると必ず一天俄かに掻き曇り、恐ろし気に空が真っ黒になる。 そうなると雷獣が地面を駆け巡る。
 芝の海岸も恐ろしいものであったようである。 突如として真っ暗になり、彼処の盛り上がった黒雲のような未知の魔物が、怪しい力を振り回す救いのない世界へと転じる。
 (とにかく江戸っ子は恐がり屋であった。 たとえば、両手を上げて踊っている猫の影姿が恐いといったらない。 その恐怖を大騒ぎで触れ回るのでなければ江戸っ子ではなかった。 物陰の幻灯機活動が長屋毎に潜んでいたのではあるまいか。)