この世界の名画計画を、岩手県にある岩手山の二面性からヒントを得たものとする推理が立てられている。

 先ず世界の名画というブランド計画がある。 すると必ず因縁を岩手県に求めようとする。 岩手山の一方は立体的な迫力であることと、もう一方は切り紙のような幾何学スカイラインであることの興味をテーマにしようと決める。 決めてしまうと練り上げに心が定まって世界最高の制作物へのスタートが切り易い。 感覚の素朴に徹するならば、すべてはリタッチメントにかかっている。 モチーフなぞなんでもいいのである。 脚を動かさなくとも世界遺産となる。 今に見ていろ、脚を動かさなくしたから世界遺産になったと言い出すだろう。 詩も五七五だからこそいい、ということになる。
 岩手県岩手山から、世界の名画計画がスタートしたという暗示証拠の一つが、浮世絵―世界の名画コースの第一走者セザンヌの何枚か知れないリュクサンブール山シリーズである。 実にこだわっている。 セザンヌはしかも東洋を訪れ、なんと自分の日本人子孫を湯田町に残しているようだという情報があった。 フランス人の子孫というのは他にもあるようで、2000年以前に壊滅してしまったポストモダニズムの諸先生達も、ホラそこに座っていた湯田町の人だと指すが如くに、日本人子孫の先祖たるべく東洋を訪れていたようだという情報に触れたことがあった。 (イヤ、ポストモダンの子孫 TV 画面にもあふれてらじゃ。)    
 世界の名画ぐらいで岩手県の名前が出たと驚くのではまだまだ浅いのである。
 クラシックという前後人未踏のブランド品は、四季計画とも呼ばれ、ヴィバルディ以後春夏秋冬と現実に湯田町現地を訪れ、言葉モチーフを採集し計画立案実行の機縁としたものなのである。 水車、鶏、稲わら、干し大根と、作曲家の名前まで予めの現地調査により選んだものとすれば、実地探索はスター達の登場より先行して思いの外早期の事であったに違いない。 案内人というものも決まった人であったようで、記者の同級生の先祖であったという。 古には、清盛公福原の悪夢の原因者として裁きにあうことでもあったのではなかろうか。 とにかく案内をわざと過つ者であるとして、今回は山形の山寺に迷い導かせる。 それが寂しいというので、一人デュエットとでもいうようなバッハの無伴奏組曲というアイディアが実現される。 ほとんど悲鳴を上げるばかりに相手を求め探して、ぐるぐると大きな落差を付けて尋ね歩く。 その楽器の音も鳴らし方も松尾芭蕉セミの声のようではないか。 このように、モチーフ因縁は何でもよいというより、奇抜な方が創作意欲を刺激される、というような工房の真実が覗かれるようである。 制約が厳しくマチエールが乏しい程磨き甲斐がある。 能か無伴奏か、ついでに俳句かということになる。 ベートーベンの運命はジャジャジャジャーンと言ったという湯田町人の言葉を採用して、音譜に写したものだという報告があった。 じゃじゃじゃじゃ、あれはつららではなく、大根だじゃとある湯田町人が間違いを正したのであるらしい。