高峰姉妹というのは「社前の売春婦」ではなかったか、という組織からの指摘があった。

 前回の、藩から持ち出された話は全部ペテンであった可能性が高い。
 神主はそのことも見抜いていたのかもしれない。 和賀氏の反乱というが少し無理ではないか。 しかし、とにかく、藩命の如き已むを得ざるものが眼前に切迫している。
 今、現場にいた者でなければ覚えていないはずのその瞬間の目撃証言が、似鳥辺氏方面から届けられた。 「タイミングが良かった。」 「10秒。」
 −十秒では息の根を止めることできないな。 薬品なんだな。

 しかしその瞬間までには神主たるものの相当の心の用意が必要であった。 
 (日本の推理小説界及び時代劇番組表を席巻するが如き作家の先生に池波正太郎がいる。 お仕事の内、本内上の家を題材とするジャンルがある。 仁左衛門とは1600年代の百姓身分屋号であった。 鬼平犯科帳は全作品問題集だよ、と言われて勇んでビデオを借り始めたのであるが、あっという間に改作版しているではないか、我慢しきれずに放棄する。 三作目までは見た。 確かに上の家の情報に満ちていることが、繰り返す見る毎にあぶり出しのように明らかとなってくる。 ただ吉右衛門と多岐川裕美の顔がこの間の精一の父母の顔であった、というのは古文書の解ではなかった。 精一は亡くなるまで整形手術していて、真実の顔を人の世に曝したことはなかったのである。 花巻縁で可愛がられたらいいじゃないかという配慮であったに違いない。 梅香剣浪人を近藤昭仁が演じる作品がある。 梅香、女性の匂いを残す香水をわざわざ体に塗り込んで暗殺の剣に及ぶ。 池波先生は黒北の近代文学石川先生と生き写しであった。)
 神主は甕の水を含む。 妹分が室内に忍び込んで何かを混入していたことは知っていたのであろう。 「飲まされたのでない、自分で飲んでらじゃ」という掛け声が飛んでいた、その通りであった。
 中国に売り込み中の阿片毒ではなかったろうか。 精神と身体運動は麻痺するが病気になって伏せてしまうことはない。
 澤内の方では、自分で飲んだことにはなっていなかったようである。 調書を読めば明らかな事であるが、知らずのうちに含まされていたという理解のようである。
 精神薄弱の末の過失死という判定であれば、未だ神主と南部藩との面対した指導−請負関係事実に至っていなかったという事になろう。
 神主は見つかる予定ではなかったようで、家の前のため池に遺体を放置することには反対したという。
 「そんな卑怯な」と近藤武者が居直る。 −そなたはもはや逮捕されて獄門の刑に服するばかりですよ。
 その通りに、縛せられ籠に閉じ込められ番所まで運ばれる。 しかし澤内はある程度事情を読んでいて同情的であった。
 含まされている。 尋常の状態ではない。 今までのように自分の「財宝」を修繕できないでいる。 修法師が身に付けるべき大切な財宝ぐらいは自分で繕っていたのである。 
 特に、手がないことを決定的な明瞭証拠としたようである。 手すなわち筆跡。 いろいろな文書を地域各所に発行してきたはずである。 
 「正当防衛」であることを確認しようとして神主に問う。 神主は何も答えなかったのか。
 ここに代官が南部氏の言葉を届ける。 「私達はあなた方にひどい仕打ちをしてきたのではないか。 恨みに思わないのか。」
 藩側の薄情な心を知って、神主は憤りの言葉を発する。
 「悪代官!」
 結局上の家最後の神主は所替えのお裁きに処せられる。
 「棚者」呼ばわりされながら、四年間も遺骨を弔い続けたという情報が届けられている。
 幕末期には、他家と共に苗字帯刀を許されていたそうである。

 ところでフクちゃん呼ばわりされた紀氏系神官様の顔はどのようなものであったろうか。
 ヒント。 長嶋紀一先生(上の家子孫の疑いがある)。 三谷幸紀氏、鳩山由紀夫氏、石上慎太郎氏、そして伊達氏。
 石上慎太郎氏は後に「措置」以後の顔と変じる。 措置以後の顔というのが多い。 しかし南部氏に再発見された時の顔が福助に似ていたというのなら、自然な一バラエティの大発展と考えることができる。
 伊達氏については、片倉小十郎が本内上の家の子孫である、という組織の保証する所からすれば、程度問題において筋道通りの事と言うことができる。

 今設問一が生じている。 上の家は旧家である証拠に多くの子孫を有しているのであるが、もしかして澤内の領主太田氏の先祖ともなっているのではないか。
 筆記者は佐橋氏の子孫と出会うことがあった。 彼は筆記者の顔を二時間も見つめたという。 紀氏系の遺伝子を表しているかどうかということであろう。 思い返せば、彼自らが紀一先生の面影を漂わせているではないか。 佐橋氏は城主太田氏の変名である。 柔らかいのを疑っていたという。

 付け加えれば、神官様の振る舞いについて、澤内が唯一不審に思ったことがあった。 少年虐待ならひっ捕らえられるな。 妹の秀子ちゃんに甕の水を飲ませて、這い蹲わせ、四つ足の生き物の如く尻を突き、しかもそれを衆目に曝しているというのである。
 自ら未だ阿片中毒状況を脱していなかったこともあろうか。 最後に、薬物の効果を世間に見せてみたかったのであろう。 無言の仕事であったようだ。 
 こけ猿の甕を抱えて走り出した安坊というのは、この秀子ちゃんの姿を写したものなのである。