上の家略伝
900年前後に国土鎮護の為雫石に派遣される。
藤原氏平泉に駆け寄るまでには、200年間の雌伏忍耐生活があった。 五六世代の交代を要する。
「空手」では生きていけない、とダウンタウンしたのである、と伝えられている。
仏教信者保護者たる藤原氏はこの経歴を嘉して、平泉の庭を一手に管理する大官採用をしたいと熱心であったという。
しかし二人連れスタートの異民生活では食べさせてもらうのがやっと、学習の材も不足、京都言葉さえ失っていたのかもしれない。
「今はこういう形で出ています」との陳情も届かず、取り敢えず先祖伝来の鎮護官として金の道本内に派遣される。 アーウー、アーウーと、余程言葉に不自由する状態であったようである。 人前に立っても、どうしても歌一曲も思い出せない。 (ギャートルズとは二人の言語状況を表現した命名なのかもしれない。)
本内任官以来の多くの子孫は、恐らく例外なく武士勤めに入ったと思われる。 天皇家の裔でもあり、国家初の貴族武将並びの一人でもあるというルーツに、自覚明らかに誇らしく暮らしていたようである。 奥州では有名人であったと思われる。
岩手県南、秋田県、山形県、宮城県と大勢の侍が展開していたであろう。 武士社会前の貴族が武士の先祖となる、というワンパターンである。 一人は間違いなく城持ちの有名武将となっている。 女系においては、伊達氏等も縁者である。
なお雫石別ルートの大名、武士連もあり、紛らわしい。
本内部落の全不動産は基本的に上の家一軒の所有であった。 「ヒルズ」とは岩手山山麓雫石、沼森の辺りを指して言う。
写真アプロードに失敗中である。