2012-10-23から1日間の記事一覧
他には何の偉大なる文化活動も指導者カリスマ活動も存在しない世の中となっている。 力仕事といえば、入れ替え悪さばかりである。 後は正直な反省ばかりが頼まれる世の中なのではなかろうか。 エリート作りなぞ、人を払うだけの罪な所業である。
以上以下、執筆者は地下組織スタッフ(Adams&Co)である。 事務員も覚えがなければ手伝いは不可能であるが、他人の名誉を盗む事はできない。 (A copier here is just a volunteer help, not a thief, forever. All text should not be his own. No reward and …
天保会談の対応に請け合われていた誠実履行の約束は裏切られていなかった。 (リコーという言葉が、その時の日本統治者の始末決議の反響として、なお生きていたことを思い出す。 堅気な久米宏氏は早稲田理工でなかったか。 組織の契約相手は日本の 「トップ」…
(しかし組織の対応はなかなかストレートではなかったようである。) 迎え入れた鹿児島人の兄と共に、水田面積の復活を図る。 巡りがすべて所有地であったから、拓き甲斐があった。 山田三角田ではあるが一町歩の開田が達成され、誤りなく花巻の登記局へ届け出…
折角の貫禄、日本国の社長さん、教授になってもらいたいという、組織の思惑に運ばれていたのである。
指で鼻をいじったりしないように、癖が付かないように、子供に輪ゴムを預けたりしていたことがあったようだ。 命の代金をケチることはできない。 思い切って田を売り払っていく。 オーイお茶というが、お茶道楽していたというのではなく、お茶がゆで何とか日…
(この間は、激しい藪睨みのお祖母さんがいたが、この上の家伝来のスタンスを記さんが為の登場であったに違いない。 もしかして藪睨みという言葉自体、坂の上の上の家に由来していたのかもしれない。) 分家の者達を動物呼ばわりすることがあったりして仲が良…
しかし、世界組織の底知れない大力(金と物)に抱え込まれたら最後、昔の通りに静かに暮らしていくことはできない。 一軒(西の家)はフォーク給食の家となり、もう一軒は舞台仕事人の接待家となる。
結局は、世界組織と契約を交わしていた藩の思惑通りに、世襲の座を井藤氏の先祖に明け渡すこととなる。 雇い入れは他の藩でも行われているが、南部藩では農民雇いであり、田拓きの功績によって庄屋、刀差しと身分が上昇する場合がある。
上の家には、当然にもいろいろな時代がある。 以下追記補足しておきたい。 残念ながら写真作業にストップがかかり、緑鮮やかな本内部落周辺のパノラマ写真をここに紹介することができなかった。