健一の人生


健一ほど人と喧嘩をすることの決してない静かな男はいなかった。
徹底してきまじめな人生が予定されていたのではないだろうか。


農民としていろいろ工夫してがんばったものであるが、40代前に脳卒中に当たり、意識不明全身不随で、もう治らぬものと思い、三人の子供を抱えた母も頼りない情けない思いをしたものであろう。
長い忍耐強いリハビリで徐々に何とか手足を動かし歩けるようになると、近くの店で簿記の仕事に与るようになるまで回復したのであった。
本来肉体労働者であったので、夜眠りに就くまで何かしらの作業で、常に生活の工夫、明日のための節約貯金の努力を失うことは無かったが、農業の大半は委託機械作業に頼ることとなった。


よくがんばる父の姿に、母はすっかり敬意を抱いていて、父が66歳で亡くなるまで、謙虚質素勤勉の精神で一心同体であった。


少しもでしゃばることのない、本当に我慢強い人であった。
病苦で失った先祖の土地をいくらかでも取り返そうと、亡くなるまで毎日生活の工夫で明け暮れたが、電気量の心配で、小さな浴槽に母と二人で入っていた姿を思い出す。
そして勤め人としては、退職金ももらったこともなく、また、日本国民として年金さえ一銭ももらわないうちに、脳梗塞の再発で路上に倒れ、そのまま意識を失って帰らぬ人となったのである。


夕食後、お湯を飲むぐらいで、娯楽趣味どころか、一時も休むことなく働いた人といえる。
本を読むということもなかったが、眼が見えなくなってからは、食事中、母に新聞を朗読してもらっていた姿も思い出す。
それでも働く、というので、倒れるまで毎日自転車に乗って通勤を続けたものである。