しゆ、という言葉


宮沢賢治の童話などにも、呼びかけの言葉として使われていることがある。
しゆ、戻れったら、しゆ、とか、アンドロメダ、あぜみの花がもう咲くぞ、おまえのラムプのアルコホル、しゆうしゆと噴かせ、とか。
長島町で、一時はやった言葉のようである。


元は、難民困民について、地域の口の悪い人が口にした言葉のようである。
その時、取材記者に何ということなく談話的に話した、いつでもよく使われる言葉が、書きとめられてしまって歴史に残ったということであろう。


それは英語にされて資料に記されていたと思う。
それを更に日本語に翻訳した先生がいたのである。
明治の翻訳であるから、硬い漢語に姿を変えたのである。
情けないことであるが、臭気と訳したのであろう。
それが長島町民に降ったのである。


本来、入浴もままならなかった難民の言わずもがなの姿であったのであるが、長島町では、イギリス人の地下活動組織との関わりについて使ったようである。
吉太郎が、若い頃しゅうきにあたっていた、と言われるように。
元の翻訳語、臭気、という文字も、そのままの意味もなく。
上の家の武蔵の娘に当る人が、百歳にまでなって亡くなる前に、おら家にしゅつくものいない、と言ったという。
しゆ、というと悪い意味とばかりには聞こえないこともある。


フランス語や中国語の最も美しい音のように柔らかくひびく音でもある。
ドイツ語では、真っ白な雪を表現する言葉の音を成し、スキーという言葉の音を成している。