初代若乃花のデスマスク


国技館にか初代若乃花の立派な顔立ちを写して陳列しているものを見たことがある。
棟梁よ、梁を高く上げよ、ということばがあるが、大工の息子ジーザスクライストの司宰する家の丈高くあることの注文であろうか。
この梁というものは、日本語として厳密な用語ではない。
英語、roof beam の粗い翻訳語である。
若乃花関のような陸奥人の額に見える鮮やかな特徴をroof beam、梁 と言ったのである。
コピーする者の母の額にも鮮やかに現れている。
梁柱のような骨の出っ張りが眉丘の両端から天辺に突き抜けているのである。


母はよく言ったものである。
はりはりとしねねんだもの、とうさん、とか。
しかしこの場合、穏やかで、諦めていて、少し笑って言っている。


この陸奥人の特徴を前に述べたストーンサークルの由来のユーラシア的横断と結び付けているのであるが、シベリア、モンゴル辺りでその特徴と遺跡の一致を確認できればルートの信憑性は高いと思う。


何百年かの日本国の農家の農作業の証に、小屋の梁の上にみっしりと稲掛け用の榛の木の棒杭が積み上げられている。
父と母の勤勉倹約と丹精の遺産である。
ハリアップ、ハリアップと、手伝いを頼まれたのであるが、不精病みの頃であったか、手伝いもしないうちに、恐らく朝早くにも何日も掛けて、不自由な体の二人三脚で積み上げたものであろう。