年端も行かない者のその後


思い出せば、その少年を導くような言葉とは別の背景みたいに、ばかぁ、ばかだな、と言いかける近付きがあった。
とにかく声を掛ける者がいたという演出である。
Stupid,stupid,stupid と言っていて、少しその少年に泣いていたのかもしれない。
Desparado などと呼んだりして後に何のいいこともない事になっていたのである。


少年は野らに倒れ、うつ伏せになって、片脚を二度ほど動かした、という描写があるようだ。
最後かどうか知らないがその時の少年の出立ちには、大胆に露な物を強いられたもののようである。
誰かが言ったのであろう。
「らくだのシャツ来て出てらや」
「シャツ着てさ」と言ったってワイシャツでなく、他の人と違って上っぱりがなくて、肌シャツのままだじゃい、と恥ずかしい気持ちなのである。
そして、和服でもないのに、ズボンも穿かないで、肌ジュバンのままだじゃい、ということである。
西洋人ならこうからかったであろう。
おめぇ、パジャマで歩くのか、ガウン羽織らねのか。
そして、「日本語もできないで」独語に来たってしょうがねぇや、と言われる。
今更「金欠病」で、人並みの何の用意もなくて、もう歩くな、と言いたいのが、コピーする者のうら若い時の状態でもあった。


このような裸みたいな姿で出歩いていた時、彼は危機を感じていたであろうか。
関東大震災時の誹謗事件現場と接点があったのだろうか。


結局その時点でわざとらしい身形で、反逆の者として捕らえられたらたまったものでなかったろう。
拷問があったかどうか、とにかく施設内で水死体の姿で上げられたという。