続き


隣国に長年月にわたっていじめられた国といえばアイルランドであろう。
他にもあるが、一方的に千年近い長さで抑圧され搾取され続けた民族というのは、帝国主義植民地主義にもないことである。
とにかく民族としては消滅しないで、今は立派に西欧の一国として尊重されている。
合衆国では、二人も大統領を出しているだけでなく、多くの著名人と人口比率を誇っているものと思われる。


この地域に陸奥人に似た風貌の人が見られる。
独立分離しているのでなく、民族一般に認められる風貌の一つの個性として気が付くことがある。
前期ストーンサークルなどの巨石文明を担った民が、ハイランド地帯に渡って暮らしているという通報があったが本当だろうか。
アイルランドの人たちに、この人たちと同じ民族の血が混ざっているのかもしれない。
巨石文明の南方ルートでは、南インドを経て、マレーシア辺りから一千年ほど前にハワイやニュージーランドに至った人達が、この各ヨーロッパ民族に混じって見られる原地中海人種の末裔だというのであった。
従って混血しているのだろうが、マウイ人は東南アジアにいた旧アジア人の直系ではないのである。


実を言うと、進んだ話ではないが、どうもこの人達後来の農耕と金属の文明を持った人たちと入れ替わりで、元の地を離れたのではないかと言うのである。
この波動の続きとして、シベリア、モンゴル、北海道、北米に至るストーンサークルのルートにも人々の大きな移動の跡を認められるのかもしれない、ということである。
昨日インターネットでアイルランド紀行の写真を拝見したのであるが、その写真に写っているストーンサークルの姿が、ここ福岡市にある樺山遺跡のストーンサークルと奇跡的なくらいそっくりなのである。
縄文時代に、わざとのようにはるばるとユーラシア大陸の両極端の二つの島で。


漢字はその由来による個性的な意味を保っているものである。
はるばると遠くの端にまで行って、という意味が、辺という漢字の旧体に含まれている。
一辺二辺という透明な表現もあるが、辺鄙とか辺土とかいうとぴったりする癖を持っている。
ユーラシアの一方の辺土から、日本というユーラシアの最東端の辺土にはるばると至った民族がいくつかあったと思っていいとおもう。
最後にイースター島にまでたどりついた、行けるところまで行く主義の海洋民族のように。
ところで、イスラエルの末秦氏がその財を提供して、日本国の建国時の最大棟梁として指導力を振るった際、ユダヤ経伝来の儀式を多く日本国の神社の下に秘したものだという。
月氏渡来の由来とその後については、Muシリーズで、三神氏他が千何百年の秘儀の担当者、やたがらすの首領に勇を振るってインタビューを遂げ、潮時だという千年目の大決断を引き出されたのであるから、皆さん大いに注目すべきではないであろうか。
古代の事情を記した地図を見ると、蒙古地域に弓月という地名があって、ネストリウス派キリスト教徒が住み着いた所である、と説明されている。
そこに今も、ウズという地名があり、新しい本山の地として建設された京都には、うずまさ、という地名が残されている。


小国のマタギは鳥のように山を走ったそうであるが、また棒術をよくしたという。
そういえば、かの孫悟空は如意棒という棒の使い手であった。


日本で最初に金を出し、その後もしばらく日本国の金産を担ったのは、ここ宮城県北と岩手県南の各地の金山と砂金を運ぶ川だけである。
今でも金砂があちこちの流れに沈殿して小川の底で輝いているのを見かけることがある。
そういう川の一つ気仙川はかわいい親しみやすいふるさとの川であるが、その河口の海岸の砂原も、みちのくの山々から運ばれてきた砂金でキラキラと光っているのである。
金を産すほどに砂金を流した川は日本でも珍しい方である。
遣唐使が生活費に携帯していた砂金もみちのくの金であった。
この金産による平泉の金色堂の印象が、マルコポーロに伝わり、やがてコロンブスを誘い、新大陸発見の根本縁となったと記している本が出ている。
室町時代の日本文化の爆発も、宋銭の輸入と商業の発展に基づくもので、西方の商人が陸奥の金を欲しがったので、中国の王朝が日本に盛んに宋銭を輸出した事に因る、と司馬遼太郎先生が「街道を行く」で述べられている。
長島町に、藤原時代の金の露天掘りの跡で赤々と禿げている山があるが、ここはその後も途絶えることのないようににぎやかに、戦後の昭和三十年代までずうっと銅を産し続けた地域である。


千何百年年以上も掘られ続けて一帯の山腹にどのくらいの穴が潜んでいて、その穴に今も何が潜んでいるか、知れたことない。
ここで、吉太郎は父を轢死事故で失い、家にいままでなかったその酒狂いで家産をすっかりカタにされ、学業の進路も絶たれ、就職もかなわない。
年若くしてその時、被害者意識で怒っていたと思う。
自分にいいことのない不法の侵入活動に当ってみようという、見当がちょっと違ったかもしれないが、勇気をふるった計算があったとも思われる。
冷静節制忍耐の人生をすっかりふりかえれば、怒り狂っただけで野放図になって大胆を働く人とはどうしても思えない。
不思議である。
かえって意志的に傍目も無いほどに思い切ったものと思われてくる。
犯罪者的にこそこそしないで、あからさまであるだけに、当ってみたものだ、と今確信される。
アメリカの映画では、ダーティハリーのクリントイーストウッドが似ているということになっている。
本当のようだ。


武蔵の場合は、単純に、とうとう内地も戦場になったのか、という鮮やかな危険意識を胸に刻み込んだことによることが分かる。
一心不乱になって、歩哨にまで立って警戒していたという。
赤ちゃんが、一声、武蔵を見て、アット、といったというので、家族からは、あっと、という愛称でずっと呼ばれている。
山平という家の伝統ある文化なのか、戸主は皆、この愛らしいゆかりの愛称で呼ばれることになっているのである。
ゆかりは愛らしくても、一生涯呼ばれる愛称が品があるものとは限らない。
なかなかこの原則を厳しく守ったもののようである。
気の利いた娘のこの間のアイディアとは思われない。
あっとは割りと寡黙な人で、一人、たまには家族の者を連れて、いろいろな用を足しに歩いていたという。


誹謗大賞に、古くは、ユダヤ人の悪口がある。
マホメットユダヤ人に毒殺された」
中世の最大疫厄、黒死病の時は、「ユダヤ人が井戸に毒を撒いて歩いている」
「夜盗火付けを働いている」
これとそっくりなデマ記事が官憲からの情報として、日本国の大新聞の全面に漲っていた何日かがあった。
実際に毒を撒いて歩いた人はいなかったろう。
今では毒を撒いて農作物を作っているという。
不法侵入に怒るという意味では、今の日本国ばかりでない世界のの現状を見れば、本当にまっとうな怒りであり、怒り足りないくらいであったといえよう。
実際思いの外深々とした不法侵入が目の前にあったのである。
ただ、この長島町の二人のように、敵の実体の見当を違えさせられて怒ってしまうことがある。
つまり第三国人の反乱や社会主義者の陰謀でなく、イギリス人の地下活動という、恩恵もあるが、反面、恐ろしい冷酷な事件を悪戯にも演出する、隠れた天下のお荷物が、噛み付いている仕業であることを見抜けないでいることが多い。