ふきどり地蔵


歴史上の登場人物が数々立ち現れた花山峠道の頂上にも近く、母親と子供が吹雪に遇い遭難した場所に小さな地蔵が立っている。
子供の泣く声が下の部落にまで届いたようだと立て札に書いてあった。


酒の難に遇った吉右衛門の家のすぐ北方に、磁鉄鉱を処理する工場があったようだ。
長く続いている会社である。
そこに、吉右衛門の家系からひとり勤めに出た女性がおられたようだ。
その会社の勤め人と知り合い、何人かの子供をもうけたのであろう。
その子供達の何人かは、この運動の影響もあっていろいろな人と出会い、その子孫の方々が早くに活躍しておられたようだが、故郷の人たちには一切与り知らぬ事でもあったろう。
年代的には、その女性は酒乱の吉右衛門の娘ではあり得ない。
コピーする者の母の年代の活躍であれば、その人の母が磁鉄鉱の会社で生まれたとしても、勤めに出た人は、コピーする者の母の祖母の代ということになる。
すると吉右衛門と同世代の方で、妹であったということになる。


吉右衛門はこの新しい会社をどのように思っていたのか。
酒乱の前の、会社との付き合いであったのかもしれない。
吉右衛門自身もかなりの事業を起こして経営に走っていたのである。
イギリス人の組織活動についてははっきりとした出会いがあって何かの納得の上で、妹を行かせたのかもしれない。
吉太郎は若い頃から、活動と家の被害の関連を疑っていたと思われる。
叔母に当る人もいる磁鉄鉱の会社とは子供の頃からの馴染みであったろう。
なにか不審に思うことがあっても、それなりにそらさずに付き合い続けたものであろう。
すぐ近くの会社であるから、地下活動との関わりについて疑いを掛けたこともあったろうと思われる。
組織の不法侵入については気づいていても、地下そのものを考えたことはなかったのかもしれない。
すると、何か悪い誘いから始まる、と考えていたのであろう。