吉太郎の叔母と次男


酔っ払い吉右衛門の妹が、殊に頼まれて近くの磁鉱会社の社員達の賄いに出ていたことは前に触れた。
そこで社員の一人とめぐり合うことになるのであった。
以後の吉右衛門の家の不運とは関わりのない、その妹の子孫と、一筋の係わりがあるはずだ言われている方たちが、運動の運びもあって少なからず活躍されているという。
日本国中を絡めた大組織活動の運命でもあったのであるが、何も隠すべき恥ずかしいことはないので、自分の血筋に大いに自信を持って頂きたいと思う。


吉太郎の次男は戦死した兄の後を受けて、警部の仕事を退き生家に戻ったのである。
観念するものがあったようで、口数少なく、趣味娯楽もなく、自分を抑えても、ただ孫達に小遣いをやるのが楽しみな半生であったようだ。
表面的に眼に見えない地下活動について注意深いものがあったと思う。
身の回りに気づくことがあってだろう、「国民がだめになってきたなぁ」と語っていたという。
かなり呆けてきて苦しいようなので、気晴らしに草刈などを手伝いに来てもらうことがあった。
コピーする者などは子供の頃よく小遣いを頂いたものである。
子孫を気にかけている人であった。
兄を「親勝りの竹の子だった」と振り返ってつぶやいたのはこの時のことであった。
近くの家でお茶の振る舞いに招かれて座っていた時、主人が「景気が悪なぁ」と言うのに、「もう一回戦争やらないとだめですか」と答えたのが、あまり唐突で軍国主義的で、いつも穏やかな人にしては意外に思ったものである。
戦争景気の思い出しでご愛想したのであろう。