怒りの吉太郎


若い時「本とれなかった」と、後年回りの者に語っていたという。


新たな情報によると、吉太郎は若くして本当に怒っていたのである。
怒れるダーティハリーというところであろうか、とにかく真昼間の覚悟であったといえる。
父親吉右衛門が、線路で汽車に轢かれて亡くなった直後のことであろうか。
必ずしも第三国人のテロ侵入事変とは考えていなかったのではないかという話がある。
当たり前に日本語を使い、公務で人の上にも立っている。
侵入外国人の仕業とは思いも寄らなかったのではないかと言われれば、確かにそう思えてくる。
そんな奇想天外な作戦が現実に人の世にあろうとは、その時点では考えられることではなかったと思う。
一般国民も、今のいままで同然であるように。
関東大震災時の第三国人に対する誹謗疑いは、映画スタッフの横行ばかりあって、こんな山中の農村で、牛の目みたいな眼の人たちに出会っているのがあっさりと工作的でわざとらしく見えて、吉右衛門の家の人たちにすれば、その工作自体が不気味なだけであったろう。
したがって嘘が丸見えで、村上の家の武蔵の場合と違って、外国人が本当にこんな山中に謀反テロに潜りに来たとは信じたことはなかったと思える。
そういう事とは全く別に、吉太郎は、その時点で家を害した賊活動が目の前にあると思ったのであろう。
前の知り合いとその口車、後の発見とそのお付き合い、という経緯が長い人生にはある。
場合によっては、どの程度のものとも知らず、言われたとおりにやってみたら、かわいがられるものだろうかと、試してみたり、黙してみたりしたこともあったのかもしれない。