村上の家のある一時期


岳部落の岳川すぐ向かいに見分け鉱山があった。
その鉱山長を止宿させたことがあったらしい。
男主人の欠けていた時代であったと思う。
建物は長島町で一番大きかったというが、泊まった人たちの話が大げさに伝わったことがあるらしい。
都会の学校を出て、文化的な生活をしてきた人達にはカルチャーショックがあったものと思われる。
風呂も、多人数入るようになったからといって、水を取り替えて沸かし直すということはしなかったと思われる。
寄宿人として後から入るようではかなり抵抗があったであろう。
コピーアーの父が倒れ、貧乏になったために、家の半分以上を教員家族に貸し与えたことがあった。
毎日風呂を沸かして入ってもらっていたが、いい湯加減になったのを確認して、母が毎晩、おふろどうぞ、と声を掛けて先風呂を勧めていたものである。
生活が楽でなかったから、節約して毎晩は水を取り替えなかった。
そういう時は、入るわけでもないが、それでも毎晩母は、炊き返しですけどどうぞ、とかたことに声を掛け続けるのであった。


その他いろいろなじめないことがあったであろう。
その家庭の幼女が夢遊病者みたいに夜中に歩いたという話も聞いたことがあった。
また農家の人間は、普通に野良で用を足してしまうことがある。
そんなことも無神経に思えてたまらなかったのかもしれない。


この頃は例によって愛称で呼ばれる村上の家の主人の地位が、夫を亡くした主婦に被さっていて、その子供達はまだ成人していなかったようである。
なんしちゅう、という言葉がある。
難視中、とこの場合読む。
この言葉の使われ方から、難視というのもこの地下活動の作戦的な触りによるものでなかったかと疑っている。
かなり強度の斜視で、尊属の中にも長島小国通り中にも斜視の人を思い出すことができないが、これほど強いものは広い世間にも見たことがないほどである。
サルトルもはっきりとした斜視であるが、やはり活動との掛かり合いでであろうか。
そうとう強い乱近視でもあったろうと思われる。
山平の家はその頃、今難視中、であったということであろう。


胎児期の摂取物影響で、小中学校時に運命的に強度の近眼になってしまうことについては触れたことがある。
性ホルモン分泌反転で、どうしても性徴の分裂発展を止めることができないのと同じように、漫画とかテレビの見過ぎや生後の栄養不全のせいではないのである。
明らかに地下活動の悪辣な悪戯による被害の一つである、脚部の発育不良も胎児期の薬害によるものであろうか。
いずれにしても、遺伝子減数分裂後遺伝子合体後の事件であれば、遺伝子異常を伴わず、子孫に遺伝しない症状である確率が高い。
癌病細胞の突然変異遺伝子が決して子供に伝わらないように、自分の子供に遺伝するのは体細胞の突然変異でなく、自分の生殖細胞内の減数分裂時の突然変異遺伝子なのである。