無闇に人を殺めて遊ぶ世界組織の一指導者が、いつか人の世に紹介されることがないとしたら、あまりに不公平で卑怯なことではないだろうか。人の世にその人からのどのような恩恵があったのかは知らないが。


石油エネルギーの問題は世に役立つ先生方の仕事である。
洪水の話から大きな発展と発見があった。
その結果だけを、例によって新聞記事より短く、伺ってみよう。


石油より大きな埋蔵量が想定されているものに、有機物含有堆積岩層がある。
海生生物の死骸が沈殿して混じっている砂泥岩のことであるが、静かな内海の浅い海底に広がっているようである。
それが何かの物理的現象で熱変化したものが石油であるという。
従って、一万八千年前のの最盛氷河期以後に、昨日おとといでも石油ができたという推定が成り立つ。


見ると、テキサス湾岸であれ、北海であれ、大きな島が引きずられた跡ではないか。
実は、ベトナムインドネシア沖のボルネオも疑わしい島であった。
同じ理由で、サハリン近辺も、この地域と共に石油の埋蔵が期待される所であろう。


イラク湾岸の場合、アラビア半島腹部が、ちょうど長方形状に揃えられるほどに、土砂が運ばれて、埋め立てられた跡と考えることができる。
シベリア低湿地にもかなりの埋蔵量が見られるようであるが、沖合いに、運ばれた土砂状そのままの弧状の島が浮かんでいる。


石油というものはこのように稀なる地学現象によってたまたま現代人への贈り物となったものなのである。
石油の先が見えてきても、石炭及び上記の加熱すれば石油になるという油頁岩は、まだまだあるようなので、根底的な悲観論に走ることはないと思う。
石炭は地上植物、油頁岩は海生生物の遺産であって、石油という特殊なものと比べたらはるかに普遍的な存在であるはずであるから。


蒸気エネルギーの発見以来、今の原子力発電まで、変わることなく使われているのが、燃焼熱エネルギー利用の羽根回転運動であるが、水素を利用することになれば、この大きな加熱消費と回転運動の利用は無用になるのである。


今一度付け足せば、いうまでもなく、上記文章は、他の日の文章と同じく、すべて、英国や米国の先生方のご執筆があり、またアジア、日本の先生方のご協力、ボランティアの方々のご努力によるものである。
有効なお仕事である。